クマともりとひと・・その2

「近くの道路で母熊と子熊2頭を見たのよ!車がライトを照らし囲んでた、、でもそのうちクマの親子は山に帰ったの、よかった~!!」、と昨日来た動物好き、肉も魚も食べないビーガンのお客さんが言う。彼女、昔は肉食だったそうです。ある日、屠殺場に連れて行かれる牛が涙を出していたのを見て、「ごめん!」て心の底から凄くショックが込み上げたそうです。それで目のあるものは全てダメになったそーな。。一方でペットを可愛がり、動物の肉を食べる人?どないやねん??。もち余計なお世話なんだけど、食料がなく飢えているのならともかく、食べ物はたくさんあるわけで、、ワタシ的には野菜主食でココロもキモチイイです。
で、母熊は子熊に1~2年連れ添ってエサ場を教えるそうです。この付近もよくよく見ればスギの人工林ばかり。クマの親子はエサをさがして里まで来てしまったようです。マジ、殺されなくてよかった~!。大体は母熊が射殺されてるようで、目の前でそれを見た子熊は人をどう思うのか?。前回の日記、反響があったのでまたクマのこと、ちと書きます。
かつては多くの動物達が広葉樹ベースの自然の森でくらし、種々の木々の花、葉、実、そして下草、虫などの食料が豊富だった。戦後になり国の拡大造林政策で奥山は緑は緑でもスギ、ヒノキだけの人工林になった。・・・かつて森を消した文明は全て、滅びてる。人間が有用とするスギやヒノキの針葉樹植林がどんどん行われ、野生動物たちは、ねぐらとエサ場をなくしてしまった。そのため動物達は、空腹に耐えかねて森から人里に飛び出してくるようになった。地元の人たちは農作物が荒らされたりで、有害獣として銃やワナで動物達を次々と駆除し始めた。
現在、奥山はからっぽになっています。・・・・
こんなとき、大きな動物から滅びます。ツキノワグマから絶滅が始まりました。拡大造林が一番最初に始まった九州では、すでにクマは絶滅。四国もあと数十頭で絶滅です。100頭を割ると近親結婚でもう絶滅は避けられません。よそから連れてきて再び種の復活の試みが今まで世界で1000例も行われ、すべて失敗に終わっています。その地で一度滅びたら、もう二度と取り戻せない。それが野生動物です。
クマは本来、森の奥にひとりでひっそり棲んでおり、見かけと正反対で大変臆病。99%ベジタリアンで、肉食1%は昆虫やサワガニぐらい。人を襲う習性などまったくないということです。・・・・
以下は「ツキノワグマ日記」を書いた宮澤正義氏の話です。人間が入ることのなかった数十年前の長野の山奥は、一日山に入ると20頭のツキノワグマにすれ違った。無数のクマに会ったけど、何かしてきたクマなど1頭もいなかった。人間より大きく、力も強いのに、なんと平和的な動物なのだろう。次第にクマに魅せられ、後年、10頭のツキノワグマと自宅の500坪の庭で20年間、家族同様に暮らしてみて初めてわかるクマの姿。クマのやさしさ、かしこさ、がまん強さ、飼い主に示す深い感謝の念に、敬意さえ抱かれるようになった・・。 
  (冊子「クマともりとひと」からの抜粋)

人間はどうでしょうか、贅沢三昧で見境いなく美味しいものをたらふく食べ、体液は汚れ、そこから病的細菌が発生し、、かからなくてもいい病気になって、、さらに薬飲んで、、弱れば抗生物質飲んで、、感染症なんかにかかって、、最後は内臓が動かない。これ、かつてのワタシです。今思えば恥ずかしい限りです。メタボはメタボでダイエットなんか必死でやってるし、テレビじゃ大食い競争やってるし。野生動物達が飢えてるのにうちらはなんなの??、、もう世の中甘えすぎでしょ!逆らい過ぎでしょ!って何に?、、自然にですよ。
全てを創り、共存共栄で心地よく生きられるような完璧な法則を創った自然に逆らえばいつか淘汰がやってくる。だから、、自分も幸せに、それと全体も幸せになるよう考えねばいかんわけよ。迷ったときはこれで決めてます。
まだまだ未熟だけど、、やっと人工毒のデトで「自然に染まること」、それが自分も全体も心地よくなる生き方なんだ!ってカラダでわかったところです。

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