もとから繋がってる絆・氣繋

カンクが帰った後、すぐに切り替えができなくて、、昔、彼とよく打ち合わせをした軽井沢のカフェラフィーネに行った。1年ぶりだった。メニューもそのまま、厚切りトーストも以前と同じでおいしかった。ここは個室で高価なアンティークのランプや飾り棚がある。ここでよく彼と仕事の打ち合わせをした。落ち着いた雰囲気、読書はココに限る。また通おうかな。。
それで、、今回はいくつか気づきがあった。まず、「絆」とはもともとあるんじゃないか!?ってなんとなく直感が湧いた。自分なりに「絆」を字分けしてみると、「氣綱」・「氣繋」、、絆とは氣のつながりってことなのか??なら、ここは氣で充満した世界、、すでに氣の繋がりの世界なんじゃぁ、って思った。それで人間界の絆ってのは、ことば、語=五でのコミュニケーションだからして、、五分・半分の世界、コトバってのはその人の観念、、なので裏切られたのどーのって、あれこれ問題も起こるわけで、、
で、完全なのは、、やっぱ天との絆なのか!!って思った。天に甘えること、、あまえ、、天愛・天餌・天恵・天獲、、究極の甘えとはもとから繋がってる天が与えてる愛、絆、温度、みたいなものを感じることか!って思った。確かにあるよね、それもかえって孤独のほうがそーゆうもん感じられる。。それを人に求めるほど寂しさが湧くってことなんだよね。やっぱこの現象界はすべてが逆みたいね。。
甘えの構造を改めて読んでみた。要は、うちら甘えの構造の中にどっぷり浸かってるってことなのよ。なのに何故、世の中寂しいか??、、それは甘えの対象物が自然じゃなく人工だからでしょ。対象物の人間や社会だって変化し続けてるわけで。一緒に流れなきゃ、文句だって出るでしょ。語=五=この世的コトバの五分のコミュニケーションだもん、思い通りのは満たされることないわけで。。
で、読んでるうちに「甘えの構造」が「天愛(あまえ)の構造」に行き着いた。妬み、嫉妬、怒り、我満さえも甘え、、その先にずっと消えない真の天愛・絆があるってことなのよ。。瞑眩・症状の先に完全健康があるように、こーゆう社会構造があってその先に行けるしくみ。うちら、もとからあま~い、天~意、「天の甘えの構造」の中にいたのよ。この世的人工で冷えの甘え、繋がり、絆を求めるほど寂しさが湧く、、
人工の世界からふと離れ、、あまえ・天愛・天恵、、を感じないとね(^_-)-☆。。
甘えは悪いもんじゃなく、、もう「うちらを創った自然のしくみ」みたいです。甘えすぎも、反対に頑張りすぎも、その片寄りで自律神経がおかしくなるわけで。。人間界の横の氣繋と、天との縦の氣繋があって、、安心立命ってことやね。

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もとから繋がってる絆・氣繋」のコメント(2)

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    自身のソレを棚に上げて・・・・
    「甘え」って悪いものじゃなくて、、、とコネコネしそーにしていたら、
    アラッ・・・
    最後の1フレーズがいつの間に??(笑)
    うう~~ッ、片寄りに気付きかけとところで、この一文を読んでしまった・・・!!(爆笑)
    「甘え」ちゃいそーな程、納得。
    まぁいいか、自律神経くん・・・(笑)
    バラバラながらも、よくやってくれてます。

  2. SECRET: 0
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    keiさんの自律神経くん、深部、霊とやらの毒出しではねーべか??
    思考も大事だけど、、アタマはほどほどに、お任せしましょ!

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