負荷がカタチになる・・
カラダはある程度の負荷をかけないと退化しちゃう。ココロだってもまれてない人は折れやすい。「なにくそ!」って奮い立つことで生命エネルギーが湧いてくるわけで、これはもう一生もんでトシとったらなおさら甘えちゃいかんのです。生きるってキツイとゆーかオモロイとゆーか、まあ、負荷の分だけカタチになるんだわ。
私の場合、日常はかなりハードに早朝から夕方まで動いてる。手ごねのパン焼きで上半身は筋骨隆々、それにパンを載せた重いトレイをオーブンに入れたり出したり、重量挙げをやってるよーなもんで、朝の5時からやってるからお昼前にはもうヘロヘロ。なのにです!その合間に腹筋マシンとレッグマジックサークル(太腿や臀部や内腿や脹脛を鍛える器械)なんかもやってるし。
あと朝晩はラジオ体操、夕方仕事が終われば負荷をかけたエアロバイクやって半身浴で筋肉を労わる。夕食食べて横になってテレビを見つつ「ゆる体操」てな具合っす。腹筋なんかは最初は10回がやっとだったのが、今は慣れて100回は楽勝になってお腹もくっきり割れてまんがな。
カラダは使うほど、負荷をかけるほど頑丈になる。始終動いてるからお腹も空くし食事もおいしいしよく食べる。疲れてぐっすり寝るから夜の毒出しもバッチリで、特に発酵食品なんか摂ってないけど毎朝のお通じも当たり前。けど、これでも私的にはまだまだなんです。田舎は車でスイスイ移動で便利、どこに行っても駐車場は空いてて都会みたいに並ぶことはない。けど都会に居た頃と違って、もう異常なくらい歩かない。歩行者も自転車もまず見当たりませんからね。
あとは「有酸素運動しなきゃいかん!でもジムに行く時間はないし、ジョギングたってクマが出るし….そっか、エアロバイクを買えばいいんじゃあ!!」って名案が浮かんだわけです。仕事場にマシンがあるといつでもできていいです。正解でしたね、以来カラダはエライ強靭になりました。先日読んだ本に「脳を鍛えるには脳トレはあまり効果がなく、筋トレやストレッチの方が効果がある」と書いてあった。やっぱ考えるより動くことやね。
エアロバイクはアルインコの組み立て式。20Kもあって重くて大変だった。こーゆう組み立てもやれば脳に「組み立て回路」が出来て最初は面倒でムズイのが、やるほどに簡単になる。嫌なこともやってればオモロくなるわけね。脳もカラダもココロも、ある程度の「負荷」が必要!ってことやね。
バイクは心拍数、タイマー、距離、体力評価、、なんかが表示されてジムのと変わらない。
ラッキーなことにいいもんが半額で手に入った。しかもピンクでカワイイしで気に入ってる。
それで扱いだら自転車と違ってスゲー負荷がかかってキツイ。てか慣れればなんてことないんでしょうが漕ぐ力が退化してた。心臓や肺もバクバクだし、、かと思ったら長く漕いでもあまり心拍数は上がってない??。そんですぐに正常に戻るんだわ。だいぶ心肺機能が衰えてるかと思いきや、そうでもなくて安心した..。
千島学説では健康とは「氣・血・動の調和」と言います。ココロの持ち方とカラダと運動が大事ってことです。ココロとカラダは一体なので毒出しして「カラダの主張」に従えばココロだって自然とついてくる。温かな方向に行く様になってるわけで、、あとは運動なんですよ。いくら食に気を配っても、それだけじゃダメで氣・血・動が調和しなきゃあどこかがおかしくなる。負荷かけて鍛えるってのは筋肉だけじゃなく、ストレスに強いココロとも繋がってるし、脳トレにも繋がってるし、、もうちょっと頑張ることが明日への活力にもなるわけです。
「考えてないで動け!道は自然と開ける!」、、なんちゃってね。実際は特価品のバイク漕ぎ始めたとこなんだけど、、なにかが変わるよーな嬉しさ、自信が湧いてくるのはきっと、、カラダ自身の気持ちなのかもね!!。
いそじさん、こんにちは。
いそじさんの体力、やっぱりすごい!
本当に年齢って単なる数字なんですね。
ジムのバイクってテレビがついてたりするけど、景色見てたらいくらでも漕げそうですね(^ ^)
カラダはある程度の負荷をかけないと退化しちゃう、って本当にそうですね。
冷えとり前は健康診断で肺活量を計った時、看護師さんに「何やってる方なんですか」
と言われたくらいなのに、めんげんで寝たきりになってからは階段一段登るのにも息をきらすようになって。本当にカラダって素直。
このままじゃいけないと調子のいい日は歩くことにしました。
ウォーキングじゃなく散歩。普通に歩いている人たちから見れば超超スローペースですが、
それでも最初は5分も歩けず、しかもそれで即筋肉痛。
でも頑張って少しずつ時間を延ばし、最近は20分くらい歩けるようになりました。
しかも歩けた日はよく眠れるんです。
食欲もほどんどなく、カラダが受け付けるのはアスパラガスと豆くらいだったのが、
食べたい!って気持ちも戻ってきて、真っ先に浮かんだのがいそじさんのパン!
あの香りや歯ごたえが一瞬で蘇ってきて、ああ食べたいって。
それで早速注文しました。
プレーンにはゆで卵や豆スープを合わせて、ギーをたっぷり塗るのもいいなぁとか。
なつめココナッツはミルクと一緒にご褒美とか、考えるだけでワクワク。
考えてるうちにもう食べてカラダの栄養になった気分になって、次は駅までいって街に出て、
夏のシャツを探しに行きたいな〜って、想像までしてしまいました。
電車に乗るなんて今の私には難関なんですけどね(;^_^A
68日間後、またすぐ始まった出血はまだ続いてます。
猛烈な痛みは最初の数日あったけど今は落ち着いてるので、いそじさんのパン食べて、
よい血をたくさん造って、歩きます。
「考えてないで動け!道は自然と開ける!」
「はいっ!」
ここ数日、霊能なんかないけどさ~、
リロさんの痛みが消えるよう、目をつぶってリロさんのカラダを浮かべて痛みが消えるように念じると、、子宮のとこが太陽みたいに光ってくるんだわ。何も出来ないけど念じることはできるのでね。今日も半身浴しつつやりますね。
ワタシも瞑眩時はヨレヨレのガリガリで、ま、まさかここまでになるとは!?それを今、キツイ瞑眩で弱ってる人に見せたかったのもあるんですよ。人は成長しよう!って動いてるうちはいくら年取っても筋肉はつくし脳も成長するし生命力も弱らないそーな。人は念じることでいい方向に変われるのでね、リロさんもカラダを感じつつ、動けるときは念じて動きましょ!!きっとワタシ以上に元気に復活しますから。
筋肉痛は今までと違った「負荷」によって筋肉が成長してるとこなのでね。それが治まったらもっと長く歩くってやってると見違えるくらいに足が強くなって、食欲も出て、ぐっすり眠れて、、それだけじゃなくカラダ全体が心地いい方向にもっと動き出すんだわ、もちろんココロも(^_-)-☆
いそじさん・・・。・゚゚・(>д<;)・゚゚・。
胸がいっぱい・・・
もうなんて言ったらいいのか、そんな風に思っていてくださってありがとうございます。
私もいそじさんのブログにお邪魔するようになって、ほぼ毎日いそじさんのことを思うから、
いそじさんが念じてくださることがすぅーとカラダに流れてきているのかもしれません。
それで今痛みがないのかもしれません。
今日も、なんて。本当にありがとうございます。
実は最近落ち込むことがありました。
めんげんがひどくて、失ったもの出来なくなったことがたくさんあると以前ここに書きました。
でもお陰さまで(痛くない時は)自分を見つめ直す時間もたくさんできました。
いろいろと考えているうちに、いづれは私がやらなくてはならないことだけど、やりたくないと断固拒否していたこと2つを徐々に自然と受け入れる気持ちになっていったんです。本当に自然と気持ちが変わっていきました。
「よし、生理痛がよくなったら一生懸命に頑張ろう」と。これが私の人生でライフワークなんだと。
そしてその途端、2つとも私の手からこぼれていきました。
他の方が「私がやります」と手をあげたんです。
健康な方で、覚悟もできているようですし、2つともしっかりとやり遂げると思います。
ただ、私は最後の居場所を奪われた感じで、なんとも言えない寂しさや悲しさがこみ上げてきて、それをどこにもぶつけようがなくて。
心に穴が開くってこんな感じなのかな。
そのためにも元気になろうって思ってたのにな。
そんなことで沈んでました。
いそじさんのブログを読み返して、なんとか気持ちを切り替えるヒントを探したり。
私を必要としてくれる人も場所も一度になくなって、心がすごく不安定になってしまいました。
歩き出したのも体力回復もありますが、それ以上に不安定になってしまった心をどうにかしたかったのかもしれません。
私の子宮が太陽みたいに光ってくるなんて嬉しいな。
本当に嬉しい♪
いつか痛みがなくなって、太陽のような元気な子宮になったら、私を必要としてくれる場所が
見つかるといいな。
今はとても悲しいけれど、いそじさんが私の痛みのために祈ってくれている。
私は幸せです。
いそじさん、ありがとう。おやすみなさい。
リロさん・・・ワタシもウエーンて涙しました。・゚゚・(>д<;)・゚゚・。 人は痛みを受けるとあとでカラダの痛みで出るんですよ。ココロの痛みはカラダが傷つくんだわ。なので人を傷つけちゃいかん、なるべくやさしくしなきゃあ、って思うんです。でも嫌な人もいるけどね。 リロさんの心身の痛みが消えるよう祈るのは当たり前で、ホンマはみんな繋がってるし、自分だけ幸せになれないんだわ。あの芥川氏の「蜘蛛の糸」の話ね、地獄から糸を登って逃げようとした極悪人が、あとから登ってきた人達を犠牲にして自分だけが助かろうとしたあの場面ね、ワタシはその場面が時々浮かぶんだわ。これって人として生きるうえでかなり大事なことなんじゃあ!ってね。自分も他人もないんだわ。誰だって苦しむ人を見たら自分も苦しいでしょ。苦しくない人は毒が溜まっちゃってて感じないだけなんだわ。 心配なのは、、リロさんがたった一人で痛みをこらえてるって言ってたけど、痛みがピークのときなんかどうしてるのか?それが原因で痩せ細ってるんじゃあ?って心配してるわけ。パンやミルクや卵は即、血になるので食べてね。ワタシも痩せ細って死にそうになってミルクでなんとか生きてきたんだわ。玄米は消化がキツイのでかえって弱るので元気になったら食べるようにね。 ワタシもどん底を経験して長いこと苦しみました..。それで「愛を求めるんじゃなく愛するしかない!」ってわかったんですよ。裏切られても騙されても、正直に清く愛で生きてやろうってね。三輪さんが正負の法則ってよく言ってるよね、人に苦しみを与えれば自分に返ってくるってことを。リロさんは与えられた側だし、とにかく今は苦しいけどそのままのリロさんでコツコツやってれば、、それとなりたい方向をなんとなくイメージしてればきっと叶うんだわ。具体的じゃなくてなんとなく想えばいいんです。ワタシの経験からね。人はそーゆうチカラがあるのでね。 リロさんはそれだけの痛みを耐えてるし、耐えられる人だし、だからきっと先々、大きな仕事を与えられるってマジで思うよ。悲しさや痛みも幸せになる過程なんだわ。(^_-)-☆
はじめまして。突然失礼します。
あの森美智代さんは、不食になってから超能力が発現して、オーラが見えたり手が勝手に動いて文章を書くようになったそうですが、いそじさんはいかがですか?
「霊能なんかないけどさ~」っておっしゃいますが、ブログを書き出すと手が勝手に動いて止まらなくなるというようなことを書いてませんでしたっけ? それって森さんと同じ、いわゆるチャネリングかなと思ったのですが・・・。
気功とかレイキって経験を積むと時空を超えて気を送ることができるそうですが、いそじさんなら簡単にできるようになりそうですね。というか、もうすでに行っているのでは・・・と、いそじさんのブログを読んでいると感じることがしばしばあります。
ワタシはこの空間に意識があるって思ってますね。なので動物も植物も同じ意識なんだって。人間にはコトバがあるけど他はもっと精妙なテレパシーで会話してるってね。なのでこうして打ち込んでるのも考えなくても意識はそこらじゅうにあるから自然と打ち込めるし、でもこれって霊能とかチャネリングじゃなくフツーのことって思うんですよ。あまり霊能とかにこだわってる人って腎が悪いし氣がキモイし、ホンマの氣じゃないよね。
ワタシはかつて朝まで瞑想したりやってましたけど、、その目的が欲だってことに気づいたんですよ。でもそのお陰で日常でもあの瞑想の状態にはいつでも切り替えられるんです。瞑想しすぎでね。これは収穫でした..。
気功を習うよりも浄化、ですね。毒出しすれば人は自然と本来の正氣がカラダを通過し、霊能?だって誰でも出るようになるんですよ。かなちゃんだって(^^)v
ワタシにとって大事なのは気を送るとかじゃなく、「天とか自然とか本来の氣」に染まることかな。よくわかんないけどね。そのためにこの厳しいシャバで生かされてるのかもね。
リロさんの心身の痛みが消えるよう祈るのは当たり前で・・ってまた泣いちゃいます
(´;ω;`)
いそじさんが思ってくれている。
それが私の力になって、昨日は頑張れて、いつもの倍近く歩くことができました。
自分でも光ってる子宮を想像しながら。
かなり疲れて、帰ってすぐに寝て、朝までぐっすり。
ココロの痛みでカラダが傷つく。
子供の頃にいろいろあって、大人になって忘れたように生きてきたつもりだったけれど。
そうですね。納得できます。
あのココロの痛みだったら、何年も絶叫するようなカラダの痛みになって当然かな。
もう毎回毎回生理が来るたび「私は何をしたんだろう」と神様に尋ねたかった。
何かの罰かなって。もう罰はじゅうぶん受けたから死なせてくださいって。
私、ココロの痛みを改めて見るのがとても怖くて、じぶんを責めることに逃げてきたのかもしれません。
痛みがピークの時はただただ一人叫んでいます。
家族は仕事で朝早く出て、夜も遅いので、それまで一人。
痛みで叫んで、欲求といえばお手洗いに行くことくらいなので、這ってトイレへいって。
枕元に白湯は用意してもらいますが、叫んでいる時はその枕元の白湯も自分で飲めません。
絶叫期間は絶食で、でもそんなのをあれだけ長期やってたらおかしくなりますよね。
いそじパンといそじさんのおすすめ食でカラダ立て直します。
「自分だけ幸せになれないんだわ」
私、この痛みから解放されることだけをこの3年半願ってきました。
でもいそじさんは忙しい日々の中、会ったこともない私のために
心と時間を割いてくださってる。
これが愛なんだ。だからいそじさんは幸せに生きてるんだ。
こんなに痛い思いをしてるんだもの。
薬も飲まず、耐えてるんだもの。
この経験を無駄には、意味のないことにはしたくありません。
なりたい方向をなんとなくイメージしてればきっと叶う。
今回私から離れていってしまったことは私のなりたい方向とは違っていたのかもしれません。
優しくなりたいし、強くなりたい。
もう自分を責めたくない。
いそじさんとこうしてお話ししていると、いつもいい風が窓から入ってくるんです。
いそじさんの心なんだと思います。
昨日の疲れが残ってるけど、今日も歩こう。
私がこの痛みに耐えて冷えとりを続けているのは、いそじさんのおかげです。
私の辛さをわかってくれたから、だから頑張れています。
いそじさん、ありがとう。
もうちょっと、頑張ります。