無からの自然発生

「病むということはその中に健やかなものがあるから病むのである」
病は治る。何かをしなくとも自ら治る。
治らないのは、自分が病んでいるからである。
自分が病んでいなければ、病は自ら去っていく。病とはそういうものである。・・居眠りした体に対して、目覚ましの働きがある。古びた体には、新陳代謝を促進する更新作用がある。錆びついた体には、それを磨いて裡の力を呼び起こす・・・・病むことに受身の人のみ、病に害される。受身で害されることは何も病に限った事ではない。貧でも、冨でも、失敗でも、成功でも同じ事である。
病は生の安全弁である。自然の健康快復法である。このことを悟らずに病んでいる事を、病に病むという。病む限り病は続く。思えば人間は随分と長く、病に病んでいる。人が病気になるのは弱いからではない。生命がどこまでも大らかで健やかだからだ。


これ、「気の身体論」という三角クリニック院長の三角大慈氏が書いた本に引用されてた野口晴哉氏の生命哲学。カラダの冷えを取ると人工毒が出て、いろんなことがわかってくる。そして自然に生かされることが嬉しくなる。カラダって一番身近な自然なんですね。ずっと向き合ってると、ワタシがどんなに苦しくてもお構いなしにどんどん毒を出す。しかも「この程度なら大丈夫だろ!」なんか加減を見つつやってくれてる。その毒出しとは、病気じゃなくてモトの健康に還るための過程なわけで、、カラダって野口氏の言うように、自ら治ろうとする意識体ってことよね。
で、ふと思ったんだけど、、自分を変えよう、もっと良くなろう、悟ろう、、健康になろうとか、、今に生きようとか、、こーゆうのって違うな!って。そんなんやらなくても今に生きてるし、病気にならないように気をつけても病気なんてのはなくて毒出しだし、笑おうとしなくても笑いが湧くカラダもあるわけよね、、
結局、全部が勝手な思い込み、世の中そーゆうもんだ!人間てこーゆうもんだ!健康になろう!ってのをやめて[素]になればいいわけよね。浄化すれば抗酸化なカラダになるし、そうなればお腹の菌だって悪玉の人工菌から自然菌になるわけよね。したらその菌群はセレトニンを作ってくれて笑いも自然と出るから免疫力も増す。人工毒が出れば、お腹も低体温から適温になって自然発酵する。なので発酵食品も特別に要らないわけね。
なんでもかんでもモトからよくできてて、、うちらはそれを認めないだけなのよ。身も心もね。何かになるんじゃなく、、モトからあって、それをONにするとゆーか、、いえ、今すぐに認めて当たり前になれば当たり前にモトの健康体に還るし、当たり前に「今ここ」に居るわけよね。
千島学説では血球から細胞に分化、それを細胞の自然発生説って言うじゃない。その細胞が組織になり髪の毛やら内臓やら骨になる。また逆分化もして組織が血になり悪いもんが融ける。または血は氣にもなっちゃう。だからカラダがいい人はキモチイイオーラーが出てて癒される。。
で、うちらって生きてるって思ってるけど、死んだら微生物が自然発生して融けて土に還るわけでしょ。そこからまた何かが生まれるわけね。それにカラダに宿るソマチッドってのも不死の生命体って言うじゃない。それが細胞のモトとも言われ始めてる。ならばうちらはなんなの??? 考えるに、、人間て思ってて、病気があるって思ってて、しかもコトバから生じる固定観念をなんとか無くして悟ろうとまでしてる。。なにやってんだか???、って話よね。いえ、そこがまた人間界のオモロサなのかな???
大体、細胞自然発生説ってのが正しいとなれば、、ワタシ的には他もすべて自然発生なのよ。福岡正信さんもムズイ「無の哲学」って本に「すべては無からの自然発生」ってこと書いてたっけ。うちらって考えて一歩進んだかのよーに思ってるけど、またも新しい固定観念を自然発生させてるだけでしょ。とにかく複雑に発生させては混乱してムズく生きてる。
あれもこれもアタマで考え、細かく分けては悩む。福岡氏が「解るってことは分る、ただ分けて解ったと思ってるだけでヒトは何一つ解ってないんだ!」みたいなこと書いてたっけ・・。アホ(空保)になんないとね。。
何が言いたいか、、この文章も自然発生してはカタチになり分化してく。。カラダもそうよね。分化もするし逆分化もするわけよね。細胞⇒組織になったと思ったら、ガンなんかは固まって融けてスゲー毒が出て散って、また甦るのがうちらのカラダなわけよね。たぶんだけど、怖がらないで治って当たり前!って気持ちでいればガンも当たり前に治っちゃうかもね。
要は、、うちらのカラダは自然発生でできてて、、ココロもそう、自然発生しては循環してる。ずっと廻ってる。。その発生をそこに留めてあ~だ~こ~だ~、といちいち評価し、修正しようとする。自然発生で起きた事をアタマで分けては捏ねくり回す。苦悩したりウツになったり、、実は自在にココロも自然発生させてるわけで、、これをマジでハマってやってちゃキリなく疲れるよね。だって実在はできたもんじゃなくて、、毒があって甦るいのちの動きこそ実在の自分だもん、いのちのまんまの省エネで生きないとね。。
野口晴哉氏が言うよーに、、「病気があるから健康」って意味は、、なるんじゃなく揺るがない健康(自然)、または自分(自然の分身)がもともとあるって話よね。バランスをおかしくしてるのは他でもない、なろうとして観念をキリなく自然発生させてる自分なのよね。。

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1件のコメント

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    こんにちは。
    ほんとうにそうだ!って感じです。
    健康に対して病気があるみたいな。そうじゃない。
    毒だし万歳です^^

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