冷えないとこに行きましょ!!・・その②

前回アップした内容、、あれじゃまだ半分なんです。なんたってコトバは半分きゃ表現できないわけです。シャバ語はどうしても表面意識、固定観念、アタマ、冷え、をつくります。とにかく一度に裏表、二つの表現ができないのが相対のシャバ語です。
だけど、、ここからが後の半分です。シャバ語も実は完璧なんです。表と裏の意味があって相対であって絶対なんですね。例えば「今」と言う字はよく見れば、「上が人で下はカタカナのラ」、ですよね。私流にみれば「ハダカのヒト」って意味です。自分のレベル(感覚)でとらえれば本来の意味が見えてきます。なので今とは「まんまの自分」ですね。コトバは裏表あって、実はシャバ語も絶対なんです。
また、「今」は「意間」とも分解できます。「ココロの間」と、とれます。てことは思考と思考の間かな?ってなりますよね。それを勘で組み立てて、、「ああ、思考がなけりゃ本来の自分がそこに在るんだ!」ってなるわけね。それを感じるために瞑想をするのかな?アタマが空って言うのが今ここなのか?とか浮かんできますよね。自分なりに解るわけです。本をいくら理解してもアタマレベルです。自力こそ字力・時、地、磁、路、慈、治、辞、知、、、いやもう変換するといくらでも出てきますよ。そう、すべて完璧に揃ってるのが自力なんです!使わにゃ損ですよね!!
思考だってそうです。表裏あってアタマ思考とカラダ思考があります。カラダ思考は直観でありシンクロでありテレパシー。野生動物達はコトバはなくてもカラダ思考で何を食べるかもわかり、コミュニケーションもでき、ウツにも病気にもならないわけです。
ちとそれましたが、うちらはわかろうとわかるまいと悟ろうと悟るまいと、絶対の完璧の中に居て、完璧な存在みたいです。悟ろうと苦悩する必要もなく、すでにもう完璧が在るわけです。雲の上の快晴の弥勒の笑みの自分が。求めること自体が相対の「我」、ですよね。うちらは自然からコトバやら感情やらカラダやら、ヒントになるものを与えられてます。楽に、軽く、生きられる方向に育てられてる。もう至れ尽くせりの愛に包まれて、うちらは育てられていますよね!!
でも本来は快晴なのになんで曇っちゃうの??ってことですよね。現代は人工毒が溜まります。当然、人工思考になります。その人工毒を浄化すれば、もともと自然で絶対の自分がそこに在る、ってわけよね。さてと、、これもこっちが正しいの相対思考です。コトバで表現すればそうなります。これがワナ!なんですね。ずっとやってると身も心も淀み、ストレスが生じ、まんま循環することに。。
知はイコール血でもあって、流れてて留まれば淀みます。血は生きてれば一生、再生と浄化で循環し続けます。川のように淀んだり澄んだりして、、それが自然なんですね。てことは悟りなんかを追求すればするほどに血・知は淀み、それの浄化でエネルギーを消費します。どこまでも循環し続けます。「こっちが我でこっちがホントの自分」とか、それやって一生流れ続けちゃうってわけです。
うまく言えませんが、、淀んだら還元剤が要るんです。何もかも相対であり絶対なわけで、、モトは一つなのに分けてる限り酸化が生じ毒になる、、まんまそれなりに循環することに・・。それも今のココロ、念ですから、そういった苦しい人生がシンクロするわけで、、それさえも完璧にできていますよね。今は意間です。たまに思考の間の瞬、瞬と流れているココロ、、コロコロと流れ、還元しないとね!。
なのでここで流れを変えますね、、お腹を意識すればいまココの笑いが出ます、、ちとそっちに戻りエネルギー補給、、あるがままの、、癒しの自分とこに行ってきます・・その③は明日にでもアップします。

この日記にコメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連する日記

PAGE TOP