表面の自分と奥の自分・・その1

ちわ~!!
きょうはちと時間が空いたので、年末の最後に書いた固定観念のことで書けなかったことを打ち込んでみますね。
ワタシはここ15年ほど毒出ししつつ、冷えについて考えては直感を呼んでここまで辿り着きました。思考は発信ですから受信が必ず来ますよね。気づかないだけで誰にでも来てるんです。何度もやるうちに、「これかぁ~!!」ってわかってきます。意識しなきゃずっとできないよね。で、やってるうちに受信時間が短くなって、こうして打ち込んでる傍からキャッチしつつ書けるわけです。それでつい長くなっちゃう。
本を読んでて気づきがあった!てのも受信、思ったことが書いてある本に出合う、てのも受信でシンクロですよね。もう受信は当たり前!ってなれば、当たり前になるんですね、したら人に聞かなくても答えはわかるわけです。もう自分の空間は自分の呼ぶシンクロでできますよね。自力ってのはいつも言ってるけど自力=磁力、だから受信できる。あと字、時、慈、治、路、地、、どこまでもスゲー大きな力みたいね。
てことじゃなくて、固定観念の続きの大事な話、書きたいわけです。固定観念てのはもうコトバによって条件反射的に生まれちゃうわけです。それが表面の自分、みたいね。「我」と言われてるもんでアタマの自分かな。それで「我」ってのはもうコトバが四六時中湧いてくるんだし、ずっと消えないわけです。それによって感情も湧くし欲も湧く、、欲があるからもっと心地いい明日にしよう!健康になろう!ってなるわけです。表面の自分(個)があって奥の自分(全体)に近づけるわけよね。表面の自分てのが悩みや病気をつくり奥の自分が浄化しるわけね。
で、自分のつくった固定観念から感情が生まれ、苦悩する。でも実際はホントの自分じゃなく、自らの固まった観念というフィルターが創った幻の自分、ですよね。実在じゃないわけですよ。それを自分と思って悩んだり、責めたり、幻の自分を嫌ったり、はたまた矯正しようと八正道とか必死で読んじゃうわけです。自分を責めれば身もココロも傷みますよね。自分と向き合って認めるだけなんだけどね。
ホメオパシー療法の赤坂ロイヤルクリニック院長の渡辺順二氏は、「来院する患者の多くは自分と向き合わずに世間の常識で生き、我慢の許容範囲を超えた人・・・そういう人は酒やたばこ、嗜好品、精神安定剤で逃げている、我慢してるのも気づかずに最後は無気力になってしまう、、」なんて本に書いてます。それって実際は誰にも治せないんですね、しかも固定観念の自分を自分と思ってる限りは自分でも治せない、深く落ち込んでそこに居続ける、カチカチになって冷える、ってわけです。
人ってある意味、固定観念でできてるよーなもんでしょ。表面はね。うちら他人の固定観念とケンカしてるわけだけど、それって自分の固定観念が他人の固定観念を評価して「そうじゃない!」って怒ってる。言われた人は傷つくわけです。実はどっちもどっちなわけですよ。そこまでわかってて怒るならいいよね。すぐにモトの自分に戻れるし、落ち込まないしね。
で、奥の自分てのは、、最近やっと繋がったんだけど、「笑い」なんですね。今じゃこうして飛んでくる文章を打ち込んでいても、チャンネルを変えれば今、笑いが出ます。最近は笑みどころかアハハハ、デヘヘヘ、みたいな笑い、ですね。声まで出ますもん。「カラダにいいから笑おう」、なんてもんじゃなく、奥の自分チャンネルに合わせりゃ笑いが出る。「腹チャンネル」かな。カラダってのはそーゆうもんみたいね。スゲーでしょ!!
いえ、実際は凄くないのよ。生まれたての赤ちゃんはニコ~っと笑うでしょ。あれ、腹チャンネルのカラダ意識でしょ。モトに戻っただけなんよ。。「なんだガキになっただけやん」、みたいな。。デトして毒受けして苦しんで、「でもど~なん??受け損やんけ!?」なんか思ってたら、やっとご褒美が来た次第。そんで腹チャンネルが使えるよーになって、パソコンのストレスも瞬時にすっ飛んじゃうってわけです。カラダこそ奥の自分、浄化力、還元力、慈愛、、もう一生消えない温か~~い愛、一人ヤマンバでも寂しくなんないよ~だ!!って誰に言ってんのか??、とにかくそーゆうわけよ。これぞホンマの治癒力やね。
で、わかってきたのは、怒りとか、寂しさ、虚しさ、、なんてのは考えなくても自然と湧くでしょ。あれって長いこと表面の自分を自分と思って生きてるからでしょ。いいjかげん奥の自分に気づけ!ホントの自分で生きろ!ってことなんでしょ。
なんでも二つで一つなんよ。人は自然だもん、表面のアタマの人工の自分で生きてりゃ毒を創って冷えて固まる。そんで温かい愛が欲しくて、、服を買ったり甘いもんを食べたりウツになったり無気力になったりしちゃう。世間から取り残されたよーな寂しさが湧く、、気が病む、、身もココロも冷える、、そんで病気になるわけよね。温かな消えない愛が自分の中にあるのに、、ま、全部かつてのワタシのことだけどね。
やっぱ、チョー長くなったので、半分だけアップします、残りはまた明日夕方にでもアップしますねん。

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表面の自分と奥の自分・・その1」のコメント(2)

  1. LOHASU より:

    SECRET: 0
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    ますます冴えわたったコメント!さすがいそじさん。
    新年早々愉しいです~!

    本当にそうなんですね。
    私の肉体ってただの筒!

    ただただ自己の本質の源泉から色々な事が湧きあがって来てるだけなんですけど、これまで生きてきた固定観念の障害物に引っ掛かり続けて喜怒哀楽が生まれてくるんですかね?

    「自己の我」は最近その事に気付き、すべての事を流していく境地へ少しずつ・・・。楽です~~~。

    ただし、まだ我の自己に同化することいっぱい有ります。
    限界が来るたび、気付いてさらに世界が広がっていく感じ!

    厄介な自己もじっと観照しているとメチャクチャ面白いです。

    事は瞬時にすべて移り変わっていくものです。

    面白いですよ。人生は!

  2. SECRET: 0
    PASS:
    LOHASU さん、おはよ!!
    「厄介な自己もじっと観照しているとメチャクチャ面白いです。」
    「事は瞬時にすべて移り変わっていくものです。」
    「面白いですよ。人生は!」

    もうこのLOHASUさんのコメントの最後の三行で充分ですよね!

    考えて苦悩して向き合って、自分なりの自己への見方を持つことですね。ワタシはすべてがセットされて育てられてるって思ってますね。コトバが最初に与えられ、固定観念ができ、苦が生じ、、だから楽がわかる。もう自然が創った法則ですね。そこをゆるんで楽しめるか、固まって埋没しちゃうか、、それが老化でもあるしね。

    それって誰のせいでもいなく自分次第なんですね、老化も。みんな勝手に選んでる、とも言えますね。心地よくオモロク生きなきゃね(^_-)。

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