タオはほんまの「快」・・

千賀一生さんのこの本、「これって老子のことなの??」って思いました。なんでって、今までのどれよりもカラダから共感した内容だったからです。

それは右の本、「タオの法則」に、、「体は人を天へとつなげる系である。心は体によって天へとつながる。爽快な体は爽快な心を作り爽快な運命を形作る」と書いてあって、やっぱカラダやんけ!!ってお腹からワクワクした。

この「タオの法則」、、あくまでワタシ的解釈ですが本来は快しかなくて、人は今と中心に居て、それを深めることが生きるコツ・・中心と繋がればすべてから自由になれる・・力を抜きすべてを委ねると内なる中心・タオと繋がる・・そこに近づけば潜在能力も顕現し運も変わり想う事は実現する・・陰があって陽が生まれ、人は悩むほど、どん底になるほどにタオの領域に近づき、天はタオの領域に行くまで悩みを提供し続ける・・エゴは所有ばかりを考える、手放すことで存在のありがたさを得る・・逆を受け入れることが生きるコツ・・、、かな。まず読むならタオの法則、もっと深く読みたい人は左の「タオの暗号」もいいです。

タオの領域?? それってゆるの高岡氏の「中心軸」とも重なるのでは?って思う。カラダの奥がタオだから「カラダの快」に従えばいいってことよね。ほんとの快・タオ・自由は自分の中にあるわけよね。そこを見つめ、、染まって、、そこと繋がる。これって冷えを取ったカラダ感覚じゃなきゃ、カラダのほんとの「快」もわかんない。キャッチできないでしょ。しかしこーゆうのって先がどこまでも見えないだけに、、チョーワクワクするし、だから多少辛くても生きられるわけよね。。

また、、陰陽どっちか?の相対思考ではなく、陰があって陽が生じる、、毒があって甦る!って二つで一つの思考をずっとワタシ的には見詰めてきました。解り易く言えば、病気があるんじゃなく、甦る為に修正(病気)がある。それを善悪の相対で見れば「病気」ってなる一つの流れを止めて判断してるわけです。世の中、みんなこの止まったとこからの見方なんだけど、実はうちらはこーゆう善悪の判断のない絶対界に居るみたいですよ!、、こっちが正しいで一喜一憂、それって実は一生ビクビクのアタマが創る相対人生なんですね。思考も流さないとね、自分の見方次第なんですね。

で、世の中すべてこの相対の見方で成っているから、恐怖も消えないわけです。コトバ自体が相対ですから悪い事が起これば落ち込む・・。そこんとこじっくり自分で考えねば、生きてる意味がないとゆーか、、何度も生まれ変わって何度もシャバ行きに乗っかっちゃうわけですよ。。って前世とかあの世とか、記憶がないし、あるのか?ないのか?行かなきゃわかりませんけど、、

それじゃど~ゆう見方をすればいいのか?これはもう、何度も書いてますけど、例えば、、今、瞑眩で苦しい人は、同時にカラダが甦ってるってことですよね。ってことは悪い時、良い時ってのはアタマの判断なんですね。そこで一喜一憂する。でも瞑眩は「修正」で、そもそもカラダがそれをやってる。そこんとこ見つめない人が多いよね。必死で健康になろうとしてかえってストレスつくって邪魔してる。

すべてが得ようとする「欲」よね。健康を得ようとしている。もともとカラダは毒出し(病気)と甦りの陰と陽を繰り返してるだけ。うちらはそーゆうもんなのに、、それを相対のどっちが正しいか?ってアタマで判断して思い込んで悩むわけよね。得ようとすれば失い、すべてを手放し天にお任せで生きれば健康だってなんだって叶う!、、実は激しい瞑眩でやっとその辺に気づいたんです。

つらくてもう死んでもいい!って諦めたけど、カラダは死なずにそんな気持ちにお構いなく浄化をしてる!。これはもう泣きましたね。「そっか、これかぁ!」って。そこに感謝が湧き、以来ずっと感謝ですね。したらカラダってのは笑いも勝手に湧くし、、カラダの感性だってトシとるごとに冴えてくる。どないやねんこのカラダ???もち、理性もです。要は、、生かしてくれてる天を無視して勝手な思い込みや世の常識で生きちゃってるから辛い事が何度も起こるわけよね。。

食の安全について全く知らない人は、添加物や酸化物で頭痛や胃痛や腰痛や、、いろいろ症状が出ます。それで市販の薬を飲み、回復?したと思ってる。大変な思い込みよね。添加物の害さえいまだに知らない人が多いのは、不思議??いや無知?いやゆるんでなくて頑固で冷えてるから受け入れたくないわけよね。世の常識に尊いカラダを任せちゃってる。そこで生きれば毒が溜まって病気になる、これってタオそのものであるカラダに気づくためなんです。。

ところで、最近書かれた写真左の「タオの暗号」は、老子が権力を意識して暗号を使って書いたそうで、「隠された思想の意味(秘儀)」が書かれています。老子思想の多くは、その通りに訳されたものだそうです。2500年前の話だけど、やはり権力に抑えられていたわけですね。国だとか地方分権とか、、そもそもそーゆうのって必要なのか?? 原発事故で犠牲になってる人がいても、今なお原発推進派が当選しちゃうあたり、この国はどないやねん??? 世の中良くなるのを待ってもキリがない。自然界だってオスは戦ってるし、これはもう、このシャバに生まれないよーにするっきゃないわけで、、ここ地上に生まれて来る自体、程度が低いんじゃね~べか??とか、よく言われてるけど??

こうなりゃぁ、まずは自分が天・タオと繋がるっきゃないっしょ!!! いや、各々がです。したら世の中もちょっとずつ、ほんまの「快」の世に変わってく。これぞ冷え取りの奥義!って思いますよ!ってあくまでもワタシ的なタオ・宇宙観ですが、、とりとめなく書いてしまいましてん、めんご(/_;)。。

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