究極の世界・冷え取りの極を求めて・・

先週、シルバーマークの軽トラをあおってたら、あれ!ワタシもシルバーやん(>_<)、て気づく。まさかの60才が目の前なのよ。歯は先週1本また抜けた、、老いを認めざるを得ない諦めの材料が少しずつ来る。だけどココロってのは、高校生と同じ。なのに、この世間の老人という見方・観念・差別の重たい空気が寂しいわけで。。老人の寂しさが最近わかって来た。あと二日でムソジ。なんだけど、恋もたくさんしたい。んで、世間的にはいいトシして店やってるし、子供も都会に行ったまま帰ってこない、、気の毒にねぇ、、ってなるわけで。この間もお客のおばはんに、「アンタ離婚したんだもん、子供が出てくのは自業自得!」みたいなこと言われたし。人に歴史あり、、ワタシだって頑張ってきたのよ。。かっぺはキライ。長野の田舎人には馴染めない。田舎人はやさしいようで冷たい、、都会人は冷たいようでやさしい、、田舎の固定観念の空気は重い、、ナンチャッテ本音。。結婚云々じゃなく、今迄どう生きてきたか、または今、どう生きているかを見て欲しいよね。暇で食べて昼寝して太っちゃった!とか言ってる、パンチパーマのオババなんかに言われたくないよ・・・ ってのがコトバによる条件反射。そこから感情が湧くわけで。それが相対の意識であって、常にある本心良心にフルターをかけてるジブンの見方のクセで冷えのモトなんだけどね。最近わかってきたのは、抑えるんじゃなく、コトバによって起きた感情を素直に出すべきだってこと。このオババとの会話こそが、もう仕組まれたコミュニケーションなのよ。すべてが統一意識なのよ。コニュニケーションで仲良く、、じゃなくて良くも悪くも会話を交わすことで免疫がつき、元氣になるよううちらは育てられてるわけで。ワタシの毒受けと同じで、波動を受けては丸くなり、、相対の見方のフィルターが磨かれるってわけで、、そこに気づいちゃったのよ。うちらは相対のコトバによって育てられてるってことを。相対だけど絶対なのよ。すべてがイコールの統一意識っきゃないのよ。だから悟ろうなんて要らない。あるがまま素直に生きればいい。冷え取りと同じで、出るものは出せばいい。。トシ相応にならなくていい。やさしさやきれいごとに囲まれてたら、、好かれようといい子ちゃんしてたら、、サプリに守られてたら、、弱さはどこまでも弱さなわけで、人為とはどこまでも逆の方向なのよね。病気治療も同じでしょ。
右はワタシの愛読書で福岡正信氏の「無の哲学」。左はケン・ウィルバー氏の数ある書の中の一冊、「無境界」って本。以前も紹介した介護福祉士&音楽療法士の崇詠氏、じゃなくてゲイ名(たってゲイじゃないよ)・アーテイスト名の「崇詠」改め本名に戻った「宮さん」が教えてくれた本。すぐに読みたくて適当に取り寄せたんだけど、内容はかなり濃い。ブログ「宮さんの石切り場」にウィルバーさんの本が紹介されてるので覘いてみてね。宮さんは先週の土曜、ここに来た。「今まで避けていたものに向き合わねば」、、とかで、閉店後2~3時間ほど話した。あの難しい心理学用語いっぱいの、、または究極の自己啓発セミナー行きまくり口調の宮ちゃんではなかった。ややゆっくり目の口調で、統一意識、イコール自己の本質、とやらを語り合った。。かつて精神世界や瞑想にハマリにハマってたワタシとしては、とてもなつかしく楽しい時間だった。。
ココロについては、かつておかしくなるほど考えた。ここんとこ多忙で忘れてたけど、宮さんとのこーゆー会話、今のワタシには癒しだった。この「無境界」の一節、「あなたは気づいていようがいまいが、いま、この瞬間の意識状態が統一意識、あなたはすでに宇宙であり、現在の体験の全体性にほかならない。あなたの現在の状態はつねに統一意識なのだ。最大の障害の個別の自己は、幻想に過ぎないからである。分離した自己を破壊する必要はない。最初からそんなものは存在しないからだ。それを探しさえすれば見つからないことがわかる。見つからないということ自体が統一意識の確認となる。・・・ブッダの有名な一説がそのすべてを物語っている。
  
あるのは苦しみのみ、苦しむ者はいない
行為はあっても、その行為者はいない・・略・・・
道はあっても、それを旅する者はいない

これなんだよね。。毒って何?ココロって何??って追求してたら、、何もなかった。あるのは、といってもこれも実在じゃないんだけど、「ジブンの経験でつくった相対の観念(冷え)」、福岡氏の言う「分別知」だってことがわかったわけで。。
それで、7~8年前だったか、誕生日のプレゼントに何が欲しい?ってカンクに聞かれて、福岡正信氏のこの本「無の哲学」を貰った。まだまだ読めてないけど、今また読みたくなった。おこがましいが、ジブンが一人この山で考え、気づいたことがここに書かれてあって、当時すごく興奮した。その中の一節「人間が自分の肉体を分別して、肉体と心に分けたとき、自分が自分の心を自覚したときから、心と手、心と目、心と耳の直接的連結はとぎれ、間接的な連結となり、手足の行動と、人間の頭は別々の道を歩み始める。汚染された心という篩(ふるい)を通して、すべてのものは知覚されねばならなくなったために、人間に目は濁り(主観が加わり)・・略・・常に揺れ動く人間の心は、事物の形も、質もいろいろに変えてしまうのである・・・略・・知ろうとして、人間はさらに洞窟を奥深く探検して行く。・・・略・・だが、知の拡大、集積は、また不知の拡大をも意味する。洞窟の闇は永劫に拡大し、奥深くなって行く。追いかければ追いかけるほど不知ははなはだしくなり、人間は悩みはじめる。・・・洞窟は人間自らが造り出していったものである・・・人間は・・洞窟の外に、白昼の世界があることも知らないで。全体を知ろうとして全体からますます遠ざかる。・・・人間の知が分別知であり、抽出知であったからである。・・・・福岡氏は人間を井の中の蛙と言う。分別知で見つけようとして白昼の世界は見つかるものではないと。ウィルバーは今の意識が統合意識という。問題は「ジブンでつくる境界」という。例えばカラダと外の境界、、ココロとカラダの境界、、その境界を取り払って無境界になったとき、外にも内にも一つの宇宙が広がる、、みたいなことが書かれている。おろかなワタシは何かが生まれそうな予感で本を読む。。今、無境界なのに。。仕事の合間にスタバで本を読む、、必死で直感をよぶ。。毎日なにやってんだろ??って思ったり。
いつか洞窟の外にある光を見つけたい、、それがジブンの一番の楽しい冷え取りゲーム。。それには、福岡さんやウィルバーさんを読み、ジブンの直感を引き出し、、またジブンの奥に潜む「本心良心」を頼りにコツコツ生きてくことかな、、って思ってる。。

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究極の世界・冷え取りの極を求めて・・」のコメント(4)

  1. 冷え取り半人前 より:

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    お誕生日おめでとうございます。還暦?年が回ってまた若返っ心と体でがんばってくださいな。でも、やっぱり年だから程ほどにね。

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     僕もやっと「意識のスペクトル」を読み終えて「無境界」を読み始めました。コレもまた楽しみな一冊です。

  3. 小さな本棚 より:

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    わたしは「意識の流れ」という本が大好きです。とても好きです。なぜ?どこが?どんな風にいいの?説明はできませんけど・・・。なんとなく座右です。

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    ワタシは意識のスペクトルを取り寄せましたよ!来週読みます。楽しみ~

    書き込みサンキュー!!「意識の流れ」読んでみます!楽しみ~

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