きのうの書き込みの返信文

またまた150字削ってみたいなのが出て、、返信できないのでアップしますね。
宮ちゃんの書き込みの一部
 「東洋の伝統では最もさとりをひらいた人は最も日常的になります。だからその偉大な賢者たちはふと立ち寄っては薪を切り水を汲んだのです。つまり、啓かれ照らされた後、山はまた再び山になるのです。」出典:物理学者は神秘主義へ向かう/「空像としての世界」第9章(ケン・ウィルバー編著)
 様々な修行を通して「超越的体験」(一部の直感的体験も含めることも出来ると思います)を人は得ます。そして悟りを啓いた後、日常=超越的体験へ開眼するのです。そして「色即是空、空即是色」に至ります。
 僕も含めてすべての人々が「その道半ば」に居ることは間違いありません。
書き込みの返信、、
やっぱ会話だと「間」というのがあって、そこで「お互いがコトバを共有して確かめつつ分かり合う、ということができるし、口調ってのも読み取れる。けど、文字の打ち込みは、ワタシみたいに論理的表現ができない人間は、唐突で、相手に失礼な文章になってしまう、、って反省しましたよ(~_~メ)
また丸山珈琲に誘ってください!
「山はまた再び山になるのです」、、ここなんですよ!
で、宮ちゃんの書き込み、どれも参考になる内容ですよ。それに、「再び山になる」ってのがなかなかできない。普通のことなのに。「最もさとりをひらいた人は最も日常的になります」ってのも再確認できました。
日常を楽しむ、心地よく生きる、、ってのが今の状況から難しいっす。やっぱこれは経験でしょうか。この状態をコツコツやってくことで開ける、かと。
お金があれば余裕もできる、、やっぱお金かぁ、、ちがうか。
生きてるからには、、悟って生きたい!って欲もあるよね。
韓国の素空慈(ソコンジャ)って人が悟って生きなきゃ生きてる甲斐がないって、それこそウィルバーさんのように、哲人や聖者の本を読破して29歳で悟った人なんだけど、その人の講演に確か、15年位前に行ったのよ。目の前で見たら、凄くきれいなんですよ。若々しくて清潔感があって輝いてる。楽しくて、、ジョークをはさんでしゃべる。で、帽子をかぶってるんだけど、かぶらないと頭があるかないかわかんない、って。ほんと、ステキで目の前にいても雲の上、みたいな軽さが。いえ、もっと上から雲まで降りてきてしゃべってくれたんでしょ。
で、素空慈氏が言うには、、悟ると、生きてるのが楽しくもなくて、、楽しいのは電気屋で新商品を見るときぐらいだって。『悟りの門-古代インドの智慧書「ウパニッシャドを解く』」とか「悟りの瞬間」てのを書いてますけどね。当時読んだんだけど、ずっと捨てられなくて、、また読んでみようかと。あの頃は瞑想もかなりやってましたよ。今も、たまにやるけど、やっぱミロクの笑いみたいなのが湧いて、それを味わって2~3分でお終いになっちゃう。どーなってんだか、何がしたいんだか??
今日は早めに仕事を片付けて、「タオ自然学」と「悟りの瞬間」持って丸山珈琲かな。タオの方はまだ読んでないけど、、なんかこっちとあっちの世界、両極の見方を同時に書いてるよーなパワーを感じました。楽しみ~~

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1件のコメント

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    >ありがとうございます@宮さん
     どうしても、文字情報だけのやり取りには限界を感じますね。その場のやり取りがない分、誤解も生じやすいということですよね。ぼくも「イソジさんらしさ」が表現された「文章の綴り方の特徴」を想像しながら、もう少し慎重に内容を読み込めばよかったのですが「僕自身に少し余裕が足りなかったな・・・」と思っています。
     また、時間があるときに丸山珈琲しましょう!!
    m(_ _)m ありがとうございました。

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