プラネタリーヘルスという言葉を、私は最近知りました。
人の健康と地球の健康を、別々ではなく、ひとつながりのものとして考える言葉です。
言葉としては2015年ごろから広がってきた比較的新しい概念ですが、その根っこにある感覚は、決して新しいものではないように思います。
目次
- 自然食の世界に入った頃
- 自然の中で、人はどう関わるのか
- いちばん身近な自然としての身体
- 合気道で感じる、目に見えないつながり
- プラネタリーヘルスという言葉に出会って
- 腸と土は、どこか似ている
- 全粒粉パンを焼くこと
- 小さな選択としての食べ方
自然食の世界に入った頃
私は14歳の頃、母・イソジさんに導かれるようにして、オーガニックや自然食の世界に入りました。
その後、自然食品や自然雑貨を扱う仕事を経て、自家製のパンを焼き、皆さまにお届けするようになりました。
その頃から、ベジタリアン、ローフード、マクロビオティック、瞑想や気功など、さまざまな考え方や健康法に出会ってきました。
けれど私は、どれかひとつの考え方を特別に採用したり、それだけを正しいものとして取り入れたりすることはありませんでした。
「自然食とは何だろう」
「オーガニックとは何だろう」
「自然なものを食べるとは、どういうことなのだろう」
そんなことを、ずっと自分なりに考えてきたように思います。
一時期、そうした世界から少し離れ、ITの仕事だけに打ち込んでいた時期もありました。
それでも、暮らしの底のほうでは、人間が自然の中で、自然の循環の中に存在しているとはどういうことなのかを、ぼんやりと考え続けていました。
根底にあったのは、何かの主義や思想というよりも、大きな循環の中に、できれば自分も入っていたいという思いでした。
100%正しくなくてもいい。
完璧でなくてもいい。
でも、その輪の中に少しでも参加していたい。
そんな感覚が、昔から自分の中にあったように思います。
自然の中で、人はどう関わるのか
ある時期、山奥で一年ほど暮らし、自然農でお米や野菜を作っていたことがあります。
そのまま山の自然の中に定住して、農的な暮らしをしていこうと思い立ったこともありました。
自然農というと、人の手をできるだけ入れず、自然のままに近い形で作物を育てるイメージがあります。
けれど、実際に自然の中で暮らし、土に触れ、種をまき、草を見て、作物を育てていると、たとえ自然農であっても、そこには必ず人の手が入るのだと感じるようになりました。
種をまくこと。
草を刈ること。
水を見て、土を見て、収穫すること。
それは自然を壊すための操作ではなく、自然との関係の中で、人間が人間として関わる営みなのだと思います。
自然に生きるということは、自然に完全に溶け込んで、人間の営みを消してしまうことではないのかもしれません。
自然から離れることでもなく、自然と一体化したつもりになることでもなく、人として自然にどう関わるのか。
そこに、人間らしさのようなものがあるのかもしれない。
人間が自然の中で何かを感じ、考え、手を動かし、関わっていくことの中に、人間の本来性のようなもの、自分らしさのようなものもあるのではないかと感じるようになりました。
いつかまた農的なものへ戻るだろうという感覚は、今もどこかにあります。
けれど一度、私は町の生活へ戻ってきました。
いちばん身近な自然としての身体
町で暮らす中で、いちばん身近にある自然は、やはり自分の身体なのだと思うようになりました。
山や畑に行けば、自然を感じることはできます。
けれど、町で暮らしていても、自然は遠くにだけあるものではありません。
呼吸すること。
歩くこと。
食べること。
眠ること。
誰かと向き合うこと。
身体そのものが、すでに自然の一部です。
自然を感じるためには、山や畑だけでなく、自分の身体を使うことが大切なのではないか。
そんな思いから始めたのが、合気道の稽古でした。
合気道で感じる、目に見えないつながり
合気道は、かれこれ15年ほど続けています。
今も継続して稽古に通っています。
合気道は少し不思議な武道です。
相手を倒すことが目的ではなく、相手と気を合わせ、流れを感じ、技をかける側も、かけられる側も、互いに気持ちよく動いていく。
自分ひとりでは成り立たず、必ず一緒に稽古してくれる相手が必要です。
身体を通して、相手を通して、目に見えないものの交流を感じる時間です。
力で押し通すのではなく、相手の動きや呼吸、重心、流れを感じながら、自分の身体もまたその中で動いていく。
そこには、勝ち負けではない、関係性の感覚があります。
自分と相手。
身体と空間。
力と脱力。
動きと静けさ。
それらが別々に存在しているのではなく、ひとつの流れの中で関わり合っている。
合気道を続けてきたことで、私は身体を通して、目に見えないつながりのようなものを感じるようになりました。
そう考えると、合気道で感じてきたこともまた、最近出会った「プラネタリーヘルス」という考え方と、どこかでつながっているように思います。
プラネタリーヘルスという言葉に出会って
プラネタリーヘルスとは、人の健康と地球の健康を別々に考えず、土、水、空気、植物、微生物、動物、食べもの、そして私たちの身体を、ひとつながりのものとして見ていく考え方です。
人間は、単独で健康になるのではありません。
私たちの身体は、食べものによって支えられています。
食べものは、土や水、空気、太陽、微生物、植物、動物、人の手によって育まれています。
そして、その食べものを通して、私たちの身体の中にもまた、自然の循環が入ってきます。
腸と土は、どこか似ている
たとえば、私たちの腸には、たくさんの腸内細菌がすんでいます。
そして畑の土にも、目に見えないたくさんの微生物が生きています。
腸と土。
一見するとまったく別のもののようですが、どちらも多様な微生物の世界です。
腸内細菌の多様性が私たちの健康に関わっているように、土の微生物の多様性も、植物の育ち方や、食べものの豊かさに関わっています。
どちらも、単一ではなく、多様であるほど健やかです。
腸内細菌は、野菜や果物、豆類、全粒穀物などに含まれる食物繊維を好みます。
土の微生物もまた、多様な植物や有機的な営みによって育まれます。
つまり、腸にやさしい食べ方と、土にやさしい食べ方は、どこかで同じ方向を向いているのかもしれません。
精製されすぎたもの、過剰に加工されたもの、砂糖や油脂に大きく偏ったものばかりを食べていると、私たちの腸内環境は単調になりやすくなります。
同じように、単一の作物だけを大量に作ること、農薬や化学肥料に大きく依存すること、土の微生物の多様性を損なうことは、地球の側の腸内環境のようなものを貧しくしてしまうのかもしれません。
もちろん、これは単純な善悪の話ではありません。
現代の食や農業は、多くの人の暮らしを支えるために複雑に成り立っています。
私自身も、完全に自然の中だけで暮らしているわけではありません。
町で暮らし、パソコンを使い、インターネットを使い、配送の仕組みにも助けられながら、パンをお届けしています。
だからこそ、完璧な自然回帰を目指すというよりも、今の暮らしの中で、どのように自然の循環に参加できるのかを考えたいのです。
全粒粉パンを焼くこと
プラネタリーヘルスの考え方では、植物性の食材を中心に、全粒穀物、野菜、果物、豆類、ナッツなどを日々の食事に取り入れることがすすめられています。
これは、特別な食事法というより、昔から日本の食卓にあったような、質素で滋味深い食べ方にも近いものだと思います。
ごはん。
味噌汁。
豆。
野菜。
漬物。
季節の果物。
そして、噛みしめて食べる全粒粉のパン。
動物性のものをすべて否定する必要はないと思います。
肉や魚、乳製品を食べる人もいれば、食べない人もいます。
大切なのは、何かひとつの主義に自分を当てはめることではなく、自分の身体の声を聞きながら、できるだけ自然の循環を壊しにくい食べ方を選んでいくことなのではないでしょうか。
お〜がにっく屋のパンは、全粒粉100%です。
精製糖や動物性原料を使わず、浅間の水、自然塩、酵母、有機素材を中心に焼き上げています。
白いふわふわのパンとは違い、噛みしめるほどに穀物の味が出てくるパンです。
全粒粉には、食物繊維やミネラルなど、穀物が本来持っている部分が多く含まれています。
精製された白い小麦粉が悪いということではありません。
けれど、穀物をまるごといただくことには、身体にとっても、食べものとの関係にとっても、何か大切な意味があるように感じています。
私はパンを作るとき、いつも「身体の邪魔をしないこと」を考えています。
強く働きかける食品ではなく、毎日の食卓の中で、静かに身体になじむもの。
食べたあとに重くなりすぎず、けれどしっかり満たされるもの。
できるだけ余計なものを入れず、素材そのものの力を信じられるもの。
そのようなパンを焼きたいと思っています。
この想いでパンを焼いてきましたが、今あらためて考えると、それは身体だけでなく、土や水、地球の循環をなるべく邪魔しないことにもつながっているように感じます。
全粒粉のパンを焼くこと。
オーガニックの材料を選ぶこと。
植物性の素材を大切にすること。
自然な発酵を待つこと。
できるだけ自然の姿に近い食べものを、日々の食卓へ届けること。
それらは大きなことではないかもしれません。
世界を変えるような力はないかもしれません。
けれど、自分が今できる形で、大きな循環の中に少しだけ参加することなのではないか。
最近になってようやく、そう思えるようになりました。
小さな選択としての食べ方
食べることは、とても身近なことです。
だからこそ、難しく考えすぎなくてもいいと思います。
白いパンをときどき全粒粉パンにしてみる。
パンに野菜スープを添えてみる。
豆やナッツ、季節の果物と一緒に食べてみる。
味噌汁と一緒にパンを食べてみる。
肉や乳製品を減らしたい日は、植物性の食材を少し増やしてみる。
よく噛んで、穀物の味を感じてみる。
そんな小さな選択の積み重ねで十分だと思います。
プラネタリーヘルスという言葉に出会って、私はこれまで感じてきたことを、少し違う角度から見直すようになりました。
人は自然の外にいるのではなく、自然の中にいる。
身体は、自分だけのものではなく、土や水や食べものとつながっている。
健康は、身体の内側だけで完結するものではなく、暮らし方、食べ方、他者との関係、土地との関係の中で育まれていく。
私は、そういうことを、自然食の世界で、山奥の農的暮らしで、町の暮らしで、合気道の稽古で、そしてパン作りの中で、少しずつ感じてきたのだと思います。
腸がよろこぶものを選ぶこと。
土や水に負担をかけにくいものを選ぶこと。
できるだけ、素材の姿が見えるものを選ぶこと。
自分の身体の感覚を大切にすること。
誰かと気持ちよく関わること。
それらは別々のことではなく、同じひとつの流れの中にあるのかもしれません。
大きな正解を探すことではなく、今日の食卓を少しだけやさしくすること。
完璧な暮らしを目指すことではなく、大きな循環の中に、少しだけでも参加しようとすること。
お〜がにっく屋の全粒粉パンも、その小さな選択のひとつになれたらうれしく思います。